AICON  NEWS

Vol.72 (2003.9)

 

今月の発想転換用語

理事長 新井 信裕

消費平等社会⇒所得不平等社会

 最近、わが国は貧富の格差が広がり、平等社会から脱しつつあるとの指摘が盛んである。80年代頃までは一億総中流意識で右肩上がりの成長に酔い、隣家と同じに家電、クルマ、持ち家と買いあさり、みんなが同じ生活レベルと思いこんでいた。
 平等とは所得格差が少ないことが前提であるが、庶民が同一の購買パターン、消費パターンを取ることで中流と錯覚してしまっていたのである。
 所得の平等化ではなく消費が平等化し、隣りと同じものを持ち、同じものを食べることで平等と勘違いしてしまったのである。
 確かにアメリカのエグゼクティブとワーカーの差は数千倍と大きく、日本のそれはセイゼイ10倍であって国際比較すればわが国は所得平等社会といえよう。
だが、大企業と中小企業の格差、中小企業でも経営者と従業員の差は歴然としており、もともとそんなに平等でなかったというのが実態である。
 大型耐久消費財を賞与払いで買い、年収の数10倍を超すマンションを僅かな頭金で長期ローンを組んで買って平等感に浸ったとすればその後始末は容易ではない。
 年率2桁の昇給を当てにし、何年分ところか何十年分の所得に相当する高額の買い物をして平等意識に満足していた訳である。
 消費の先食いで所得平等と錯覚した償いは平成に入り清算を求められるようになる。
 年功給制度が崩壊し、予定していた賞与も支給されない事態になって漸く、所得の平等ではなく、消費の平等にウツツを抜かした愚かさが身に沁みることとなる。
 最悪の場合、つぶれることを夢想だにしなかった大企業ですら倒産し、所得の道を断たれてしまう不幸に遭遇するケースが少なくないというのが実態である。
 このような失業者と定収のある有業者との所得格差は拡大して当然である。
 ここまでくれば、従来の平等社会が浮かれた消費の先食いによってもたらされた虚構であったことを認めなければならない。
 そこにおいては、個人というども、企業と同様、長期のライフプラン、特に所得プランを再検討すべきである。
 自らの知識と知恵を棚卸し、どの程度の所得が期待できるかという可能性を検討した上、この程度が自分相応と納得する生活姿勢が必要となる。
 能力、成果に関係なく所得が平等化する社会は不平等社会であり、幻想に過ぎない。努力する人に報いる所得不平等社会が今後の社会と心得なければならない。


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