Music history of JOKER
●幼少期
父親が家でよくピアノで「月光」を弾いていたのにあこがれ、4歳の幼稚園入園とともにピアノを始める。以後高校1年までレッスンに付く。

●小学校時代
小学校入学後、毎年合唱祭などの伴奏者を経験。

小学生5年生までは練習嫌いで野球ばかりやっていたが、5年生の時にピアノの先生が変わったのを機に本格的に練習を始める。ピアノの先生に連れられてオペラを観たり、アマチュアでホルンを吹いていた叔父に演奏会に招待してもらって聴いているうちにオーケストラにも親しんで行く。

●中学校時代
野球部とどちらにしようか悩んでいたときに友人に誘われて勢いで吹奏楽に入る。ホルン志望で入部したが、まもなく同期男子が3名のみということでチューバに転向させられる。しかしバスパートを経験したことで、後の音楽人生にかなり大きなアドバンテージとなる。

ピアノにおいては、3年間とも伴奏者を務め、校内合唱コンクールでは最優秀伴奏者賞を受賞する。

●高校時代
県立東葛飾高校入学。進学校にも関わらず音楽環境に非常に恵まれていた。吹奏楽に入部し、「今度こそ」ホルンを始める。1つ上の先輩が芸大進学、同期2人は関東大会常連中学からの出身とレベルが高く恵まれた環境であった。

この頃から友人と数々のオーケストラや室内楽演奏会に出かけるようになりオーケストラへのあこがれが募っていく。

12年通っていたピアノのレッスンをついに止める。しかし、レッスンを受けていた時以上にピアノにのめりこんで行ったきっかけは、現在東京都交響楽団の首席ファゴット奏者になった岡本氏と2年続けて同じクラスになったことであった。彼と3年間デュオを組んで数々の音楽会、音楽祭や発表会に出演した経験は後の室内楽活動に大きな影響を与えることになった。

高校2年よりピアノデュオなどのアンサンブルにはまっていく。自由研究で連弾やデュオをテーマに取り組み、3年の文化祭では音大進学者を含む6人でピアノアンサンブル演奏会を開き、ラフマニノフの組曲やピアノ3台によるブラームスのピアノ協奏曲1番など派手なプログラムに挑戦した。

2年の時には一年間、高校の責任ピアノ奏者を務める。

●大学時代
念願のオーケストラに入団。ホルンに本格的にはまっていく。アンサンブルが盛んな横浜国大のオケ風土が肌に合い、金管や木管アンサンブル、ホルンアンサンブルはもちろん、弦楽器との室内楽も数多く経験する。2年の時に初トップでマーラーの巨人を経験。また3年の時には2期通年で技術委員長(インスペクター)を務める。

ピアノにおいても、ソロの伴奏はもちろんのこと、プーランクやモーツァルトなどの室内楽伴奏を数多く経験し、木管定演においては、ホルンとピアノの2足のわらじで出演したこともあった。

大学2年の終わりに念願のアレキサンダー103を購入。

この頃から編曲を手がけはじめ、次第にバイト収入の半分以上を占めるようになっていく。ジャンルは、アンサンブル曲やオケ曲、吹奏楽、合唱曲と多岐に渡る。小学生時代のピアノ教室でのソルフェージュや楽典クラスの経験が大きく役に立つことになった。

ママさんコーラスの指揮者を2年間、フェリス女学院中高等部の管楽トレーナーを2年間、石巻女子商業高校の器楽部コーチを3年間務める。

88年に音大生を中心に結成されている「東京ユースシンフォニー」のオーストラリア演奏旅行に参加し、バイオリン奏者の妻と知り合う。
カザルス室内楽フェスティバルに「フランセ:木管5重奏曲第1番」、「フランセ:恋人達の黄昏」で2年連続出場する。

●社会人
大阪に勤務していた時代を含め、1年あまりホルンもピアノもブランクが空く。東京に戻り、序々に演奏活動を再開し、89年に結成したピアノと木管5重奏編成の6重奏団「アンサンブルディマージュ」を中心に活動範囲を広げていく。

94年より、東京アカデミッシェカペレに入団。ほぼ同時期に横国大のOBオケとも言える「横浜シンフォニックアンサンブル」に入団し、自分の常オケとなる。

95年よりNiftyのフォーラムであるFCLAに入り、夏オフを始めシンフォニーオフやお気楽オフなどいくつものオフに参加するようになる。さらにFCLAホルンパティオのオフなども企画し、一気に全国規模のネットワークに発展していく。

98年に年1度のオペラ自主公演と、合唱団やバレエ団からの依頼演奏活動の主体とするトラオケ団体(?)とも言える「コレギウム・ムジクム」の結成時より参加し、ヴェルディやフォーレのレクイエム、第九やオペラガラと言った歌もの、「ジゼル」や「白鳥の湖」などのバレエ曲、「こうもり」「カルメン」「椿姫」などのオペラとジャンルが拡大していく。

00年より横国大のOBで結成された木管アンサンブル団体「カフェコンチェルト」に参加。木管アンサンブル活動も再開する。

00年10月ローランドの電子ピアノKR−577を購入。結婚以来ご無沙汰だったピアノだったが、友人の結婚式においてソロと弦アンサンブルの営業を依頼されたのをきっかけに再開する。

01年2月にアレキサンダー200MBLを購入。今までの103MBは状態も良い上、愛着もあり手放せず、手入れをし直してセカンド楽器として保管する。

05年2月より、ホルンを始めて23年目(!)にして初めてレッスンにつき始め、初心に帰って基礎から鍛え直し始める。

●家庭と音楽 ●結婚後の音楽活動
結婚婚以来、ピアノが無かったが、パーティや結婚披露宴で依頼されたときなど、妻のバイオリンとホルンのための自作のデュオを演奏する機会がしばしば。

97年より長女奏の保育園のクリスマスパーティのゲスト演奏として4年間夫婦で出演。

長女の奏が2歳の終わりの99年11月よりバイオリンを始めるのに伴い、ピアノはもっぱらレッスン曲のピアノ伴奏がメインとなる。

00年12月には保育園のクリスマスパーティのゲスト演奏に奏も参加し、念願の親子アンサンブルが始まる。

03年7月には発表会にて奏と妻の2本のVnソロと私のピアノ伴奏でヴィヴァルディ「調和の霊感3-8」の親子トリオが実現。

03年10月より美音がバイオリンを習い始める。

●家族での演奏履歴
01年10月: 従弟の披露宴で奏と初の親子デュオで、ベートーベンのワルツを演奏
02年01月: オケの新年会で妻と奏と私のトリオ。
02年06月: 奏のバイオリン発表会で「ザイツのバイオリン協奏曲」を私がピアノ伴奏。
02年07月: 妻のVn,、私のピアノ伴奏で外資系製薬会社パーティでスタンダードやポピュラーなど中心に45分のステージを務める。
02年07月: 大学後輩の結婚式で娘とデュオ。「ザイツ」と「バッハのブーレ」
02年10月: 義弟の結婚式で親子トリオ+義弟のカルテット
「ヴィヴァルディa-moll」 「セリーヌディオン」他
02年12月: コレギウム室内合奏団concertで奏がヴィヴァルディa-mollを弦伴奏で独奏
03年02月: 保育園お楽しみ会にて親子3人でバッハのドッペルコンチェルト他を演奏
03年07月: 奏の発表会にてヴィヴァルディ「調和の霊感3-8」を親子トリオで演奏。
03年12月: コレギウム室内合奏団で奏がヴィヴァルディ「調和の霊感3-8」の独奏。
04年03月: コレギウム室内合奏団「PTA家庭教育学級コンサート」に夫婦で出演。
04年04月: 奏が才能教育品川支部のジュニア弦楽合奏団に入団。
04年06月: 発表会で美音が「こぎつね」でデビュー。
奏は「ラ・フォーリア」を私のピアノ伴奏で演奏。
04年12月: コレギウム室内合奏団で奏がコレルリ「ラ・フォーリア」の独奏。
05年01月: カペレ新年会に奏のソロ、私のピアノで「ラ・フォーリア」を弦楽伴奏版で演奏
05年06月: 発表会で奏が「バッハ:バイオリン協奏曲No.1-3Mov」を私のピアノ伴奏で演奏。
05年12月 友人の結婚式にて、音楽仲間のオケ伴奏で奏がバッハのVn協奏曲No.1の3Movのソロ演奏。
06年06月 発表会で美音が「ユーモレスク」、奏がドボルザーク「ソナチネ」を私のPf伴奏で演奏。美音とは人前での初デュオとなる。
06年10月 帝国ホテルでの外資系企業のパーティにて木管五重奏とVn&Pfデュオの編成で、ミニコンサートとBGM依頼演奏に妻と出演。私は木5にホルンで、デュオはピアニストとして妻と共演。
06年08月 才能教育研究会の松本での全国大会で、奏がソロ演奏に選ばれドボルザークの「ソナチネ」を演奏。才能教育研究会の長い歴史の全国大会において初(?)の父娘デュオでのホール演奏が実現。
07年01月 カペレ新年パーティにて、美音の「ザイツ:Vn協奏曲No.5」、奏の「ドボルザーク:ソナチネ」で父娘デュオで出演