998年11月16日(月) 第1日目
 今年もオーストリアに来ることができた。今回は10日間の旅行であった。航空券は往復大人85,000円、子供21,000円。このときの為替は1シリング=11円であった。

 さてオーストリア行きの飛行機では、楽器を持った人をよく見かける。今回も何人もいるので妻と「有名な音楽家がいるかもしれないね」なんて冗談交じりで話していると、チェックイン待ちの際、すぐ前に立っている人がどこかで見たことがある。なんとウイーンフィルのコンサートマスターのライナー・キュッヘル氏であった。

大感激して「キュッヘルさんですか?」と話しかけるとなんと日本語で「そうです」との答え。そうか、彼の奥様は日本人だった。
写真を一緒に撮ってとの依頼も快諾してくれた。「娘がバイオリンを習い始めた」と言ったら「ではいつか共演しましょう。」との言葉。あはは・・・。(^^;;

 機中ではオーストリア人男性と結婚して向こうに住んでいる家族と席が前後に。兄弟3人が奏によくしてくれておかげで飽きずに済んで良かった。(^_^) ホテルも非常にサービスの質の高いホテルで幸先良いスタートであった。
成田空港にて。本屋の前で。

ウイーンフィルのコンサートマスター、ライナー・キュッヘル氏とともに。貴重な記念写真。(^_^)

飛行機の前の席に座っていた家族。日本人とオーストリア人のハーフのあきらくん。

今回は友達がいたせいか奏も飽きずに乗っていた。隣があいていたのも良かった。ラッキーだった

お姉さん達にさんざん遊んで貰えてご機嫌。旅行もずっと一緒に行きたかったようだ。

ホテルから徒歩3分のところにあるレストラン。名前はなんと「ボエーム」。ちなみに奏はこの10分後は眠ってしまった。

前菜は「前奏曲」、メニューは第1幕から順に乗っているのが笑える。味良し、サービス良しの大当たり。

今年も来たなあという充実感と時差とワインですでに眠い。(^^;

2日目の朝。シュテファン寺院の前で。この前で写真を撮るのは毎年恒例。



●1998年11月17日(火)  第2日目
 ホテル「アルトシュタット」に大きい荷物を置かせて貰ってウイーンから電車で1時間あまりのプルカウという小さな町に行く。ここにはいつも我が家でワインを個人輸入していた先のグランツ聡子さんが住んでいて、遊びにきたらワインケラーを案内しようという言葉に甘えて1泊遠足にでかける。彼女はコンピュータ技師のオーストリア人男性と結婚し、3人の子育ての合間に地元町のワインケラーを束ねて日本向けにインターネット通販をしている。
 
 プルカウは日本では知られていないが、ワインの名産地。町の地下のワインケラーの面積はほぼ町の面積と同じだそうだ。そのケラーの中でもヨーロッパの優秀ワインケラー賞を受賞したことのあるヨルダンさんのケラーを訪ねて、ワインケラー見学と試飲会をさせてもらった。

 初めてみるワインケラーの中は本当に刺激的であった。何台も前から伝えられてきた伝統的技法と近代技術をミックスしたワインづくりは本当に興味深かった。まだワインになっていないジュースとワインのあいだのようなものを樽から直接汲んでもらって飲むという貴重な体験も出来た。そしてその後、ヨルダンさんの食堂にて特性ハムとチーズ、そして郷土料理をつまみにワインを飲んだ。

 「これはワインの当たり年」「こっちは同じ年のワインだけど葡萄畑が違う」「これは畑が同じだけど前の年のもの」など、3分の1も飲まないうちに次々と惜しげもなく開けていく。結局大人5人で20本近くモノワインを飲ませてもらってへろへろになってそばのペンションに泊まった。いやあ、幸せな体験だった。(^_^)
奏は2回目のウイーン。寒さにめげず元気。

寒いので屋台の温かい飲み物や食べ物が妙に美味しそう。

プルカウに向かう特急のコンパートメントの中でお気に入りのコンコンと。

プルカウの町で。聡子さんの息子のあきらくん(4歳)。ここの家は公用語は日本語だそうだ。3人兄弟で上の二人はすでにドイツ語もできるバイリンガルだそうだ。

地下のワインケラーの内部。ワイン樽をテーブル代わりにして試飲会。これがまた書けないくらい美味しい。(^_^)

ヨルダンさんとさこさんと。奏はすでに寝てしまった。ワイン製造のノウハウ話も貴重だったが、飲むのに夢中でそれどころでは無いJOKERだった。