高校生時代−3 【第五話】:オーケストラへのあこがれ
★初めての定演ではポピュラー曲で初めての、しかもライトアップ(!)どソロを経験し緊張しながらも快感と充実感を味わう。また初のオケ曲である「展覧会の絵」も吹いて吹奏楽とは全く役割の違うまさしくホルンの醍醐味と本番の麻薬的な魔力を味わえた。(^_^)V

★この頃から、音楽仲間の友人達と国内や海外など様々なオケや室内楽の演奏会を聴きに行くようになりクラシックへの傾倒も加速する。

レコードはとても買えないのでFMファンという雑誌を購読してクラシック番組を「エアチェック(今や死語か・・・)」して聴きまくっていた。カラヤン=ベルリン、マゼール=ウィーンフィル、ショルティ=シカゴ等胸躍らせて聴いてオケ曲にはまっていった。

★そして自分の高校生活最後の演奏会となる2年の定演のメイン曲はストラビンスキーの「火の鳥」

こんなすごい曲を吹奏楽で出来るとは! 今考えれば無理矢理オケ曲やるくらいなら吹奏楽でなくオケやれよ!と思わないではないが、当時は疑問にも思わない。何より部活の雰囲気や演奏会をやること自体がたまらなく楽しい時期であった。

わずか2年間の吹奏楽部生活でホルンはたいしてうまくならなかったが、思い出の詰まった幸せな時代だった。

★高校時代にホルンを始めて周りが上手い人ばかりだったというのは先述の通りであるが、初心者の私にホルンを根気よくずっと教えてくれていた同期のK氏はなんと現在東京アカデミッシェカペレでまさに隣で吹いている。

当時から仲の良い友人だったのだが、ホルンに関しては師匠で有り、その彼と今それなりのレベルのオケで演奏できるのは一種恩返し的な(?)気持が有り、一種の緊張感と嬉しさがミックスした感覚が心地よい。

また芸大を目指すため退部したI先輩は見事現役で受かり、その後ヨーロッパで活動していて、現在帰国してフリーのホルン奏者として活動している。昨年K氏とともに一緒にホルンアンサンブルをして頂く機会が有ったのだが、この時の嬉しさは言葉では表せない。今の幸せなホルン生活があるのはまさにこの方々のおかげだから。

★さて入学した大学は横浜で松戸の自宅から通うので、毎日練習しなければならない大学オケサークルは無理だと思い、地元の市民オケにでも入るつもりでいたのだが、ひょんなことから引きずり込まれる(?)ことになった。
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